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昭和37年4月から4年間学生時代を大阪で暮らしたときの思い出。

入学式を前に大阪に到着した日はあいにく雨だった。 西も東も分からないので大阪駅からタクシーで下宿先に向かった。 その下宿先は大学の学生課から紹介された家だったが玄関で挨拶をする間もなく家人に言われた。 「病人がいるさかいできまへん」。 

そういわれてもすぐ他に行くこともできず見つかるまでということでしばしの間置いてもらうことにしたのだった。 部屋は薄暗く雨は降っているしご主人がしょっちゅう洗面所でげーげーやっているし本当に何と言う大阪初日だと備え付けの2段ベッドの上で落ち込むばかりだった。 

まもなくわかったことだがご主人は食道癌だった。 学生課に頼んで近くに下宿先がみつかり引っ越したのだがその暑い夏に音連れてみた。 ご主人はすっかりさせて床について奥さんが団扇で静かに扇いであげていた痛ましい状況だった。 そのようになる前そのご主人は思い出の散歩だったのだろう小生を連れて中之島を案内してくれた。 また別の日は奥さんが天王寺を案内してくれたのだった。 部屋からはときどき奥さんの三味線の音が聞こえてきたりした。

ある日、腕時計を便所に落としてそれを取ってくれといやな頼まれごとをされたりしたことがあった。 娘さんは独身で顔に湿疹ができていて 「世間様に顔が見せられない」と嘆いていた。 何か豊中市のことを話しているのが聞こえてきたりした。 息子さんはサラリーマンでどこかに勤めていた。 

食事は家族と一緒だったが親切な印象を受けた。 その食事の時に大阪弁で最初に戸惑ったのは「ほかす」 の意味が分からなかったことだった。 こっちはこっちで 「おばんでございます」 が奇異に感じられたのだった。 男でありながら 「おばんでございます」 (笑)

そんな大阪から春、夏、冬と年3回故郷の苫小牧を往復したのも懐かしい思い出だ。 大阪名物をお土産に。 帰省の切符を大阪駅の窓口(まだみどりの窓口は存在しなかった)で手配しているときどこかのテレビ局がその様子を撮影していた。  大阪土産は昆布が多かったように記憶している。 心斎橋にはときどき出かけた。 そんな思い出の大阪だがあれから50年すっかり変貌してしまっている。梅田には新学舎が建設中だ。
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