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昭和35年の夏休みに故郷の自動車学校に通い自動車の免許証を取得して55年の月日が流れた。 

自動車学校の同クラスに小学校時代の絵の先生(寺の住職の子息)、高校時代のクラスメイトの兄貴などがいて学校には何となく親近感を感じていた。 法規は間違いやすいひねった問題例に困惑した。 構造(今もこんな言い方かは知らないが)はもともと機械いじりが好きなので興味を持って学んだ。 「ピニオンが噛んでしまい動かなくなる」 という教えの言葉だけはなぜか今でも耳に残っている。 

当時はマニュアル式トランスミッションしか存在しなかった。 小型4輪車(日産のダットサン)が教習車だった。 坂道発進は非常に難しかった。 人工的に作った築山を登って下るコースがあった。 上り坂でいったん車を止めてクラッチを外し変速レバーをニュートラルにすると同時にブレーキを踏み停止し、ブレーキを踏んだ状態でアクセルを徐々に踏みエンジン音が変わるのを確認すると同時にブレーキを少しずつ緩めアクセルを踏み増して発進するのだがこのときにアクセルを踏みすぎてブレーキシューとブレーキパッドの摩擦熱で白い煙が出たりして教官から注意されたことがあった。 

そんなこんなで学科、実技の講習が終わりいよいよ検定日がやってきた。 結果は一発合格だったが検定直後受験の状態を見ていた教官からは 「実技試験で落ちるとおもった」 とあからさまに言われた。 

その後何年かたって免許法が改正になり 「小型4輪自動車」 という区分がなくなり、このことに伴う認定試験を受ければ2000CCまで運転できるとの通知が来たがそのままにしていたところその後の免許更新では自動的に普通自動車に書き換えられていた。 付帯的についていたサイドカー(側車つきオートバイ)が自動2輪車にも書き換えられていた。 今で言う規制緩和か。

そして高齢者ドライバーになって2度の更新を無事通過し、来年3月3度目の更新を迎えることになる。 そしてつい最近高齢者標識を買ってきた。 たまにしか利用しない高速道路の運転のときにしかつけないが。
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